膝蓋骨脱臼骨折の記録2 <救急車で搬送>

救急隊員の方が来たとき、何を訊かれて、何を答えたのか、ほとんど覚えていません。どこが痛いのか、どうしてそうなったのか、を答えた記憶もありません。そのあたりはクラゲが答えてくれていたかもしれません。ただ身体が震えているので「寒いですか?」と聞かれ、「寒くはないけれど、震えてしまいます」と答えました。


さて、わたしはこのあと担架に乗ります。


ところがわたしはあまりの痛みで自分で担架に乗れません。誰かに持ち上げてもらうのも無理です。足をちょっとでも動かすと痛いのです。
わたしは布団の上に倒れていたのですが、身体の下にあった毛布が、このとき思わぬ形で役に立ちました。救急隊員の方が「使ってもいいですか?」と確認のうえで、ふたり、この毛布でわたしの身体を吊るすように持ち上げて(ハンモックのような格好です)担架へ乗せてくれたのです。
わたしの下に毛布があったことは、わたしにとって幸運でした。自力で担架に乗らなければいけなかった場合を想像すると、痛くて乗りたくありません。


救急隊員の方(おそらく3名)が声を掛け合いながら慎重に担架を運んでくれます。しかしわずかな揺れでも膝は痛みます。叫び声をあげることはなかったけれど、顔を歪めずにはいられない。「ぶるぶるがくがく」は変わらずに続いています。
家を出る際には「靴を持ってきてくださいね」と重要なことを教えてもらいましたので、わたしはクラゲに「茶色のまるいやつ」と、お願いしました。ヒールのないスリッポンの、持ってる中でいちばんゆとりがあって簡単に履ける靴です。それくらいの思考力はありました。

救急車に乗ってから隊員の方に「保険証は持ってます?」とまたも重要なことに気がついてもらいました。保険証はわたしの財布の中です。家に戻らねばなりません。ゆけっ!クラゲっ!急ぐのじゃー。


救急車の中では過去の怪我歴についての質問がありました。わたしは中学生のときにも左膝を痛めて手術をしたことがあったのですが、そのことについて満足な説明はできませんでした。昔のことでよく覚えていないからではなく、「よく知らない」のです。中学生のわたしは、自分の怪我について真剣に理解しようとしなかったし、お医者さんにも詳しい説明を求めませんでした。「半身麻酔だった」こと、「膝の3箇所からカメラを入れた」こと、「入院はしていない」ことなど、記憶していることは伝えましたが、過去の怪我や病気についてはきちんと理解して、覚えておくなり記録しておいたほうがいい、と強く思いました。


さて、病院に着きます。身体はまだ震えています。