夏休みとは

AmazonのPrimeミュージックで、2017年のランキングを選んだら、何曲目かで知らないいい曲が聴こえてきたから、耳を傾けていたら、


「キミのいない世界など、夏休みのない8月のよう」


と歌っていた。




ふつーの日ってことじゃん。と思ったわたしはおばさ、いえ、大人の証拠。

餅は切り餅

母親のタツコさんから電話がかかってきて、「うーぶちゃん、お餅いる?」って言うから、「うん、いる。」って答えたら、思ってたのと違うのが届いて驚いている。



ひとりっこ育ちのうーぶは、餅と言ったら切り餅だと思ってるから、まさかロール巻きで届くとは思いもしない。


途方に暮れていたら、リンゴの皮むきはできないクラゲが、みずからすすんで包丁をとり、切り餅サイズに切って、ラップして、冷凍してくれました。いいぞ、クラゲ。


わたしはこの餅をお正月に平らげるだけ。結婚してもひとりっこはひとりっこでございますので。
ひとりっこでよかった。


それではみなさま、よいお年を。

キッチンタイマーグマ


炊飯器をキッチンタイマーの代わりにしているアライグマです。こんばんは。

お米を炊かないときの炊飯器は時刻を表示していますので、たとえば10分計りたいと思ったときに表示が20時15分だったら、20時25分を待つのです。

お米を炊いているときは「炊き上がりまで何分」の時間が表示されますので、たとえば8分計りたいときに「あと15分」が表示されていたら、えーとえーと。。。「あと7分」!になるまで待つのです。

これがアライグマの炊飯キッチンタイマー(秒単位には対応しておりません)。

大変役に立っています。

ただ、この炊飯キッチンタイマーにも欠点がありまして、時間になっても教えてくれないのです。あくまでもご飯が炊き上がったことしか知らせてくれません。炊飯器としての自負があるのでしょう。

その自負を尊重しつつ、でもお知らせしてくれるタイマーがあったら便利だなーとも思っていました。高額なものではありませんので、とっとと買えばいいのですが、炊飯キッチンタイマーで間に合っている現状に甘んじておりました。

が、ついに。偶然の出会いがこの現状を打破するべく、わたしの背中を押してくれたのです。



キッチンタイマーグマ」です。ご覧のとおり、アライグマのグマ部分が表現されています。うれしくて、つい買ってしまった。


さっそく昨日、パスタを茹でる時間を計りました。時間になると、クマッ、クマッ、クマッ、とは鳴らなかったのがほんの少し残念です。

52+3円切手

毎年年賀状を、手書きで書いているアライグマです。こんにちは。
ボールペンでもなく、サインペンでもなく、フリクションでもなく、かといって墨と硯まで用意する意気込みはなく、ぺんてる筆で書いています。ペンペン。

毎年とにかく面倒なので、って面倒だなんて言ってはいけませんけれども、プリントにしようかと思うのですが、いかんせんやったことのない方法は何からどうしたらいいのかわからなくて、それで面倒くさく感じられて、結局手書きなのです。


年賀状は必ず、お年玉つきを買っています。なぜなら、わたしがお年玉のついた年賀状が欲しいからです。だって当たるかもしれないじゃないですか。当たったら嬉しいじゃないですか。だからみんなにもお年玉つき!と。

でも今年、買い物に行った先で年賀状を探したら、お年玉つきは絵柄が気に入らなかったんです。また別の日に別の場所まで年賀状を選びに行くほどの意欲もなくて、どうしようかと悩んでいたところに、クラゲの一声、「お年玉はなくていいよ」と。


「そうかな、なくてもいいかな」
「いいよ」
「でもあったほうがよくない?」
「いいよ、べつに。」
「でもあたるかもしれないし」
「あたんねーよ」


。。。。


ということで、人生でおそらく初、お年玉のついていない年賀状を買ったのです。が、やはり、お年玉のついていない年賀状を送るのは味気なく思えていました。まあでも買ってしまったものは仕方ありません。今年はポストカードに年賀切手を貼って送る、そう納得して、あれ、そういえば年賀状の切手代って52円のままだっけ、どうだっけ、と調べてみると、検索画面のところどころに出てきた「お年玉つき年賀切手」の文字。なんだこれは。見たことも聞いたこともないけど、いまわたしがもっとも欲しているものっぽい!


それがこちらです。


ご挨拶の枚数分ぴったり購入できて、年賀状書くの楽しくなってきました。



今年もあとわずかです。

コノハンキャンプ

クラゲのお勤めする会社、「切株会社コノハン」の社内キャンプに行ってきました。


社内キャンプと申しましても、定例行事などの本当は行きたくないと思っている人がたくさんいる会ではなく、酔っ払って騒ぎたいだけの飲んだくれが集まる、いや失礼、仲間との交友を深めようとする有志が集う、どちらかといえば私的なキャンプです。
不定期ながらも年に数回開催されるこのキャンプには、コノハン社員だけでなく、「コノハン社員の家族」「コノハン社員の恋人」「元コノハン社員」など、「(切)コノハン」とつながりのあるメンバーが参加して、わたしもクラゲの飼い主として、今回、何度目かの仲間入りを果たしてきた次第です。


何度目かの参加で気づいたことがあったので、その話を少し。


あるコノハン社員のご家族で、ミドリさんという奥様がいらっしゃいます。3歳前後のふたりの小さな子供たちも一緒に、キャンプにはいつも家族4人そろって参加です。
ご主人はいつもニコニコしていて、お酒を飲んではニコニコ、お肉を食べてはニコニコ、みんなとしゃべってニコニコ、誰かに「食べて食べて」「飲んで飲んで」と勧めてニコニコ、ずっとニコニコしていて、いつまでニコニコしてるんだろうなーと思って見ていると、最終的にはニコニコしたまま寝ています。

一方で、奥様のミドリさんはずっと立ち働いています。テーブルのセッティングに始まって、全員のコップ、紙皿、箸、おつまみ、紙ナプキン、ウェットティッシュ、ゴミ袋、まな板に包丁、懐中電灯やランタン、キャンプに必要なあれこれすべて適材適所に準備して、みんなの飲み食いが始まれば、そこからミドリさんは後片付けを始めるのです。誰かが空にした置きっぱなしの缶を捨て、誰かが食べ汚したテーブルを拭き、誰かが落とした箸を拾い、必要とあらば遠く炊事場まで水を汲みに行く、という。しかも誰にも何にも言いません。「こっちお願い」とか「誰かこれ手伝って」とか。いっさい、ありません。自分で見て、自分で決めて、自分で動いて、おそらく家でもそうであるようにキャンプの間中もずっと静かに働いています。


今回も同じように、ミドリさんは立ち働いています。


コノハン社員および関係者の全員が好き勝手に騒いでいる中、ミドリさんだけいつも静かに働いているのを、わたしは不思議に眺めていました。「ミドリさんは嫌じゃないんだろうか」という疑問もありますが、どちらかというと「どうして誰も注意をしないんだろう」と。
社内関係者の集まりですから当然、先輩後輩などの上下関係はあります。ミドリさんのご主人は、参加者ほとんどの先輩にあたる人です。その先輩の奥様ひとりが黙々と立ち働いているのに目もくれない後輩社員に対して目もくれない先輩社員たちよ。なぜだ、と。「おまえら、ちっとはミドリさんを手伝え」くらい言っていいのではないか、と。いや、言ってしかるべきじゃないか、と。


でもみんな飲んではしゃいで楽しいのだし、なによりミドリさんがこれっぽっちも気にしていない様子なので、おそらくこのままでいい、というより、このままがいいんだろうな、そういう会なんだろうな。でもきっと解散する前にはみんなでミドリさんにありがとうございましたの一言くらいはあるんだろうな、そこはやっぱりけじめとして当然、と思っていたら、それもない、という。


今回もやっぱりありません。


それがずっと不思議だったのです。注意もなく、感謝もなく。こんなことでいいのかコノハン、と。
そこで「切株会社コノハン」への疑問ではなくて、自分への疑問に変えてみたんです。どうして(おそらく)わたしだけが不思議に思っているのだろうか、と。後輩たちを注意しない、ミドリさんへの感謝を口にしない、そのことをどうしてわたしだけが強く気にしているのだろう、と。


そう考えたら答えが出たんです。これは「社風である」と。


わたしは今の会社で働き始めて10年経ったのですが、他人への気配りや、人に対する感謝を、ともかく日々、意識づけされてきました。配慮する、感謝する、謙虚でいる、それが社会人としてもっとも大切で必要なことである、と。でも言い方を悪くすればそれは会社から「植え付け」られたものであるということに気がついたのです。
そういう視点で思い返してみると、わたしはもはや「感謝するべき人を探している」ような気さえします。あるいは「誰かに気配りを見せないと落ち着かない」のかもしれません。ありがとうございます、おそれいります、と謙虚な姿勢を見せないと叱られてきた過去が、たぶんそうさせるのでしょう。めっちゃくちゃ、叱られるので。


だからね、何が言いたいかわからなくなってきたので、簡単にまとめちゃうと、
「それでいいのだ、コノハン」と思ったのです。


また行きたいです、コノハンキャンプ。って、こんなこと書いて行かせてもらえるかな。。。

今日は冒険の日

大変お久しぶりです。うーぶです。

そういえばわたしうーぶだったなぁと、いまここで思い出しているくらい長いことうーぶから遠ざかっておりましたが、ひとまず戻ってまいりました。

パソコンの画面に向かって自分の文章を書くのもずいぶん久しぶりのことで、いまいちリズムがつかめていません。いままでどうやって書いていたのか忘れてしまいました。やはり何事も訓練が必要ですね。

リハビリだと思って、つらつらと書いていくことにします。


わたしがブログを書き始めたのは2005年か06年で、大学を卒業した年だったかその翌年だったか。学生という身分を修了すると同時に「自分の文章を書く」という機会がなくなって、たとえば字を忘れてしまったり、言葉を忘れてしまったり、考えをまとめる力が衰えてしまったりするのではないかという不安から「日常的に文章を書くため」に始めました。
ブログを始めた時期にもよく耳にしましたが「なぜ日記ではいけないのか」とは、自分でも問いかけたように思います。「日常的に文章を書く」ことが目的なら日記でこと足りるはずですから、どうして「日記」ではなく「ブログ」を選んだのかは、正直、今もって疑問です。見ず知らずの他人に日記(のようなもの)をわざわざ晒すわけですから、自己顕示欲の表れだと言われれば、まあ、そうですよね。それがないとは到底言えるものではありません。

ですので、わたしがブログを始めた理由は「自己顕示欲」だったとします。そもそもわたしは自己顕示欲が強めのアライグマですからそうなのでしょう。がぉ。

その自己顕示がかれこれ10年以上も続いて、今となっては「uubの冒険」を楽しみにしているファンの存在を感じることができるのですから、自己を顕示してよかったと、いや、自己は顕示しなければならない!がぉぉーっ!!と、思いを新たにしているところです。

だんだん調子が戻ってきた感じがします。しますよね?


さて、そのブログをしばらく更新していません。理由はひとつではないのですが、ひとつだけ書きます。


今よりも上手な文章を書けるようになりたいのです。


たとえば字を忘れてしまったり、言葉を忘れてしまったり、考えをまとめる力が衰えてしまったりするのではないかという不安から「日常的に文章を書くため」にブログを始めたと言いましたが、10年前のわたしは書き続けることでそれなりに上達もしていくだろうと思っていました。上達は、したかもしれませんし、さほど変わっていないかもしれません。10年前と比べて悪化しているということはないと思っているけれど、訓練されたという確かな手応えはありません。まだまだまだまだまだまだまだまだなんにもできていない。

ですから新しいステップを踏もう、と。このままブログを書き続けても、わたしが目指しているところには辿りつけないだろう、と。

新しいやり方を始めて、ブログの更新まで頭も手もシッポさえも回らないのですが、このまま辞めてしまうのは忍びなくて。どうにか続けていく方法はないものかと、月に1回でいいから更新する時間がどこかで作れないかと考えたところ、ありましたありました。


クラゲが飲み会で遅くなるから夕飯を作らなくていい日。


というわけで、今日のクラゲは飲み会です。
というわけで、今日は「uubの冒険」の日です。


今後ともどうぞよろしくお願いいたします。