†絶体延命ツアー RADWIMPS


とても楽しみにしていたライヴでした。2009年の7月に初めて彼らの音楽を耳にしてから約2年、生で聴いた歌は、音は、わたしの想像の中だけのものだったけれど、ようやく想像から飛び出すことができました。


日本ガイシホール 2011年5月8日(日) 




スタンド2階席だったのですが、行ってみたら2階席の最前列の正面でした。舞台までの距離は遠かったけれど、ずっと会場全体を見ていることができました。個人的に困ったのは、前の壁が低かったことです。座って観戦するように作られているからですが(当然です)、それをお行儀悪くも立ってしまうと、わたしの太もものあたりまでしか高さがないので、はしゃぎすぎてアリーナに落下しないようにするのに気を揉みました。座ってればいいのだけれど、ムリムリ。


一曲目は「DADA」だと信じて疑っていなかったのに、見事に裏切られてショックです。「億万笑者」?なぜ??いや、いいんだけれども。いや、いいのか?と思わずにいられない気持ちを放り投げて、「億万笑者」だってわたし好きだもん!!、よく聴いてみたらこっちのが一曲目には相応しいような気もする!!とか、ぐるぐる考えながら、いっこうに舞台から下ろされない白幕に映される影を見つめていました。


わたしのライヴ経験はごく限られていて、20歳を過ぎてからアリーナ級のライヴに参加したのは、今回を含めて全5回です。アーティストは BUMP OF CHICKEN と L'Arc-en-Ciel と RADWIMPS で、だから今回のライヴも2組のバンドと比べるしかないのだけれど、会場に行って最初に思ったのは、お客さんが若いということと、あと、カップルが多かったです。バンプは男の子チーム、女の子チーム、が多かったし、ラルクは年齢も男女比も種種雑多だったけれど、ラッドは10代20代のカップルが目立って多かったように思います。


演奏者の音楽性はお客さんに反映するものだなぁと、今回のライヴに行って特にそう思いました。たとえばバンプのときは、今この瞬間だけというような熱が異常に高くて、でもそのかわりにちょっと寂しい感じが滲んだりもするんです。とり残されてしまったような。ラルクは、ミーハーな感じと、真摯な感じが半々というところだと思うけれど、考え込んだり寂しくなるようなことはきっとなくて、ただ、みんな楽しい。そしてラッドは、若いカップルが多いというだけでなく、すごく盛り上がっている一方で、会場全体を覆っている雰囲気が、やわらかくて、やさしくて、明るかったです。あの日のあの会場内で、いちばん明るくなかったのは、たぶん野田君じゃないかな。わたしが野田君のパフォーマンスに騙されているだけかもしれないけれど。


野田君の歌っている姿を見ながらわたしはふと、ああ、音楽はあるべき人の手に渡ったのだな、と思いました。それは別に野田君が他のプロのアーティストと比べて特別にその才能に抜きん出ているという意味で思ったのではなくて、野田君にとって、音楽がその手にあることは、本当にいいことなんだろうな、と感じたのです。もちろん、どのアーティストにとっても、音楽が自分の手にあることはいいことに違いないけれど、アーティスト自身がそう感じているのだろうな、と思ったのではなくて、オーディエンスであるわたしが「野田君にとって、音楽がその手にあることは本当にいいことなんだろうな」と感じたのです。バンプのライヴでもラルクのライヴでも、そんなことは思わなかったけれど、今回は思ったのです。音楽と野田君との距離感を、聴いているわたしが短く感じているのかもしれません。


だからだと思うのですが、わたしはオーディエンスの立場にいながら、野田君の歌っている曲を、歌を、野田君に届けたいととても強く思いました。そして野田君に向かって一生懸命歌いました。野田君自身がお客さんにマイクを向ける数も実際多かったんです。それはみんなで盛り上がろうというパフォーマンスだったのかもしれないけれど、わたしは野田君が本当にみんなからの歌を求めていたんじゃないかってちょっと思っています。違うかもしれないけれど、そう感じました。



あっという間の2時間でした。みんなからの歌声、足りてない気がするから、次はもっともっと届けられるようにエネルギーためておきます。



あともうひとつ。今回のライヴ、わたしはクラゲのアート君と一緒に参加できたことが本当に嬉しかったです。チケット取れてよかった。また一緒に行きましょう。