好きじゃあないことはするもんか


毎日いろんなことがありますね。地震の影響なのか、周りの人たちの声もあまり聞かなくなったような気がします。みんな、なんとなく静かです。物質的なこともそうだけれど、目に見えない精神的なダメージは計り知れないのかもしれません。今回の震災で無傷だった人なんていないのかもしれないね。


離れていても、わかることがあります。なんの連絡もなくても、なんとなく伝わってくることがあります。みんな、元気を失っていないでしょうか。




学生だった頃は、仕事は楽しくできることが一番大事でした。お給料は二の次で、わたしは、この仕事がしたいと思える、自分のしている仕事にささやかでも誇りを持てることが何より大切でした。誇りの持てない仕事をしてなんになる?


わたしは歳を重ねることは嫌いじゃありません。体力が落ちても、肌が衰えても、まだそうなっていない若い人を羨ましく思うことも、あまりありません。逆に歳をとってもすごく元気で健康でお肌もつやつやしている人を見ても、やはり羨ましく思うことはあまりありません。


でも、自分の仕事に誇りが持てて、自分のしている仕事が好きで、お金がたいしてもらえなくても楽しいからやってしまう、という気持ちを失っていない人が今目の前にいたら、たぶん泣いてしまうくらい悔しいです。


わたしは、嫌なことをしているからお金がもらえるんだ、と考えるようになりました。嫌なことを我慢する代わりにお金がもらえるんだと思うようになりました。自分を仕事に向かわせているものが、誇りではなく、お金になったってことですよね。お給料が減っても仕事に対する姿勢が変わることはたぶんなくて、かといって、お給料が増えてもわたしのモチベーションはたぶん上がらないのだけれど、嫌なことがあったときには、「だからお金がもらえるんだ」と、いちいち思うようになりました。


嫌なことを我慢して、お金をもらって、そのお金で楽しい思いをするんだ、って考えてる人が消費者になったときに、だから消費者としてちょっとでも嫌な思いをすると怒るんですよね、きっと。消費者になったときくらい、楽しい思いだけをしたいから少し(あるいはかなり)我儘になったりするんですよね。そうしてまた、仕事をしている側の人間がその我儘に嫌な思いをして、その人がまた消費者になったときに楽しさに貪欲になって。


社会の一部はその循環で流れているのかもしれません。悪いとは思わないけど、好きじゃあないですね。


だからわたしはその循環の中に入らないように、別の循環の中にいて、その循環の流れをひとり分でも大きくできるように、毎日元気いっぱいに楽しく過ごそうと思います。地震がおきても、誰かがどこかで自殺しても、高層ビルに飛行機がつっこんでも、生きてるうちは負けないんだ、ぜったい。