<ソラニン>監督:三木孝浩 原作:浅野いにお


ひとりの休日に、ひとりでDVDを借りてきて、家でひとりで観ました。


どうしてわたしが、ひとりの休日にひとりで借りてきて家でひとりで観たか、まずはその話をします。すごくみっともなくて、すごく恥ずかしい話だから、こんなところに堂々と書くようなことではないのですが、そこからしか始められないので。


その昔つきあっていた男の子の話です。彼は宮崎あおいちゃんが好きでした。わたしは宮崎あおいちゃんのことは「かわいい子だよなぁ」としか思っていませんでした。わたしはテレビも雑誌もあまり見ないし、そもそもななちゃん(松嶋菜々子)にしか興味がなく、だからななちゃん以外の女優さん(アイドルも歌手もすべて含めて)は、極端な言い方になるけれど、「ななちゃんではない人」で、宮崎あおいちゃんにも特別な感情を抱いたことはありませんでした。だから彼が宮崎あおいちゃんを好きだと知ったときも、彼のことを「ずいぶんふつうの人だな」と思っただけでした。彼の、それ以外の好き嫌いを聞いているうちに、「この人は大衆的な人気を集める人や作品はあまり好まないのだろうな」と思うようになっていたので、「そういう人でも、やっぱり女の子はかわいい顔の子がいいのね」と、ちょっと残念に思ったくらいはあったのですが。


つきあってまだ間もない頃。彼の家でふたりでいるときに、わたしは何かのきっかけでななちゃんの話を始めました。ななちゃんの話ですから、それはもう、夢中になって話したのだと思います。そのうち話の熱が高じて、わたしはななちゃんのかわいらしさを彼に見せたいと思いました。わたしの大好きな女の子の表情を彼に見せたいと思いました。それで彼のパソコンを開いて、YouTubeで、ななちゃんのある映像(生茶のCMのワンシーン)を探し始めました。それだけではなく検索にひっかかった他の映像も、これもこれもとどんどん見て盛り上がって(たぶんわたしだけ)いました。そのうちに彼が「ちょっと待て」と言い出しました。そうして今度は彼が、宮崎あおいちゃんの一番好きだというワンシーンを探し始めました。嫌だとは思いませんでした(ななちゃんの映像を見るのを邪魔されたことは嫌でしたけど)。わたしも「彼が好きな女の子の顔」を見てみたいと思いました。
ななちゃんの生茶のワンシーンと違い、こちらはなかなかお目当ての映像が出てこなくて、彼は「これかな、いや、こっちかな」と言いながら、一生懸命に探しました。わたしはその彼の様子を隣でずっと見ていました。ようやく目当てのシーンが見つかって、わたしは彼が称賛する女の子の顔を見ました。うん、とってもかわいい。と思いました。でもななちゃんのほうがかわいいよー、と言おうと思って彼のほうを振り向いたとき、彼はニヤニヤしていました。自分が一番好きだという女の子の顔を見てニヤニヤしている彼を、わたしが見ていることにもまったく気がつかずに、ニヤニヤしながら宮崎あおいちゃんを見ていました。
わたしは男の人が好きな芸能人の女の子の顔を見て喜んでいるときの顔を初めて間近に見て、ああ、男の人はこういう顔をするんだと、とても嫌な気持ちになりました。端的に言って、傷つきました。


わたしは宮崎あおいちゃんの顔をみると、悲しくなるようになりました。


ある日彼と一緒にテレビを見ていたら、宮崎あおいちゃんのCMが流れました。それは「味の素」のCMで、彼女が料理を作っているシーンでした。何かの料理に「ほんだし」を入れていたのですが、彼はそれを見て「その料理に、その調味料入れて、おいしくなるか?」と言ったので、わたしは「どうだろうね」と答えました。そしたら彼は「他ならぬ、あおいが言ってることだからな」と言いました。わたしはそれで泣いてしまいました。なんてことを言うのだ、と思いました。わたしは呼び捨てで呼ばれたこともないのに。と思いました。今テーブルの上にある料理はわたしが作ったものなのに、なんで「他ならぬ」なんて言うのだ。と思いました。わたしはそれで、料理を作るのが、本当に嫌になりました。台所に立っている自分の後姿を彼に見られるのが嫌でたまらなくなりました。あおいちゃんと比べられているような気がして嫌でした。あおいちゃんと比べられてると思うなんて、なんて自惚れているのだろうと思って、たまらなくなりました。こんなことであれもこれもそれも全部嫌になって投げ出したくなっている自分は、なんてバカなんだろうと思って悲しくなりました。その悪循環がとめどなく続きました。


彼の職場で一緒に働いている女性の旦那様が、テレビ関係の仕事をされていて、映画「ソラニン」の試写会のチケットが2枚、思いがけず彼のところにやってきました。彼はその試写会にわたしを誘ってくれました。わたしはとても嬉しく思いました。主演女優が宮崎あおいちゃんの映画ですから、彼にしてみたら、わたしと観るより他の人と観たほうが安心して楽しめたと思うのです。彼もそう考えたと思うのです。もちろんわたしとしては、映画を純粋に楽しめるのだろうかという問題はあったけれど、でも彼が観たい映画にわたしを誘ってくれて、嬉しかったんです。


彼が宮崎あおいちゃんを好きなことをわたしが嫌がるようになって、彼は「もう宮崎あおいは好きじゃありません」と、わたしの前で宣言したことがありました。もちろんわたしが「言わせた」形だったので、わたしはそのことが本当に申し訳なくて「言わせてしまったね」と謝りました。すると彼は「何を言っても、だめだな」と残念そうに言いました。それは「言わされたわけじゃない」と言ってくれたんだと、思いました。でも「ソラニン」の試写会の後、彼は自分のブログで宮崎あおいちゃんのことを「好きな女優」と書きました。わたしは、嘘つき、と思いました。だんだん笑えてきましたね、この話。でもまだ続きます。


彼と、彼の会社の後輩と、わたしと、3人の共通の友人2人、計5人で、初めてお食事に行ったとき。わたしはまたここでも「ななちゃんが大好きです」という熱弁を始めました。みんな最初は珍種の動物でも発見したみたいな顔で興味深げに聞いてくれるのですが、その興味もあまり長くは続きません(いつものこと。慣れています)。その熱についてこられなくなった(どちらかというと嫌気がさした)あたりで、誰かが今度は彼に「芸能人は誰が好きなの?」と聞きました。わたしは、宮崎あおいちゃんの名前が出てこないことを願ったけれど、願いは届きませんでした。「僕は宮崎あおいが好きですね」と彼は言いました。「僕」ではなく「俺」だったかもしれませんが、そんなことはどうでもいいです。「宮崎あおいが好きですね」と彼は言いました。続けて、「僕は彼女のことを、僕が高校生のとき、彼女が中学生のときから好きです」と言いました。「僕が高校生のときから好きです」だけじゃなくて、「彼女が中学生のときから好きです」と言いました。彼としては、「まだ彼女が世の中で大々的に人気が出る前に、自分はとっくに宮崎あおいに目をつけていて」「世の中の大半の人が彼女をかわいいと言い出すずっと前から自分は宮崎あおいが好きだったのだ」というところを強調したかったのです。ただそれだけのことだとわたしはわかっています。でも、彼と知り合ってまだ数ヶ月かそこらしか経っていないわたしには、そんな風に過去の時間を強調されて、彼にとっての自分の存在がちっぽけなもののように思えてしまったのです。「彼が」そんなふうに思っていないことはわかっていても、「私には」自分がそう見えてしまいました。バカみたいですよね。わかっています。でも、どうしようもなかったんです。


わたしは、宮崎あおいちゃんの顔をみると、苦しくなるようになりました。みっともなくて、恥ずかしくて、誰にも知られたくないくらい、苦しくなるようになりました。それは一年くらい、続きました。ちょっと自分でも信じられないくらいひどいあり様になり、本当に病気かもしれないと思いました。なんとかしなければ。そう思って借りてきたのです。


ソラニン


見ると苦しくなることがわかっていて、わざわざお金出して借りてくるこの行為が、自分にとって、いいことなのか悪いことなのか、よくわかりませんでした。こういうのを根暗っていうのかな、と思ったりしました。でも、そのときのわたしの心情としては、見ないわけにいかなかったのです。ちゃんと、フラットな気持ちで(フラットになれるかどうかはわからなかったけれど)、もう一度見てみたかったのです。


見たので、感想文を書きます。大丈夫。フラットな気持ちで、書くことができそうです。


そしてこうしてパソコンの画面に向って、最初に頭に思い浮かぶ感想は「あおいちゃんかわいかった」です。彼が言っていたことを思い出します。「彼女はたくさんの映画で主演をつとめているけれど、未だ代表作というものがない」と。そして「どちらかというと作品に恵まれないタイプの女優だ」と。そのときわたしは「へー、そうなんだ」と思っただけだったのですが、『ソラニン』を観ている間、彼のこの言葉を何度か思い返すことになりました。なぜかというと、宮崎あおいという女の子は、なんていうか、とにかくかわいいんですよね。あの屈託のない笑顔はもちろん、今の世の中の人気から考えても、誰もが認めるところだとは思いますが、泣いた顔も、しかめっ面をしても、怒っても、驚いても、はしゃいでも、さびしそうでも、全部あの笑顔の裏側にある表情にしか見えない、というのか。どんな喜怒哀楽を表現されても、その裏側にはあの笑顔がある、というのか。彼女が泣いても、怒っても、叫んでも、落ち込んでいても、いつも笑ったときのかわいさがその表情には潜んでいて(それは彼女を見ている側の心に潜んでいる、ということなのだろうけれど)、だから彼女を観ているわたしは、彼女が演じている芽衣子(めいこ)の感情に、あまり心を動かされることがありませんでした。ただ「ああ、かわいいなぁ」と。


ソラニン』以外の映画(ドラマも)をわたしはほとんど観たことがないのですが、『ソラニン』を見る限り、他の映画でも、同じようなことが起きているのではないか、と思いました。見ている側が、あの笑顔から抜け出せなくなっている、というような。


宮崎あおいが、泣いても、怒っても、叫んでも、驚いても、悔しそうにしても、ただ「かわいい」と思う。宮崎あおいの演じるキャラクターの気持ちに同調するようなことももちろん少しはあるけれど、でもやっぱりどの感情を表現しているときの彼女を見ても「かわいい」と思う。わたしだけじゃないような気がするのですが、どうでしょうか。


わたしは彼女の演技力についての評価をしようとしているわけではありません。演技力なんて、わたしはよくわかりません。でも「未だ彼女には代表作がない」と言った彼の言葉を考えたとき、そしてその要因が「作品に恵まれない」ことにあるとした彼の言葉を思い出したとき、わたしは『ソラニン』を見ながらふと、彼女の「かわいい」という魅力がストーリーを食ってしまっている可能性はないだろうか、と思ったのです。少なくとも『ソラニン』においての彼女は、わたしにとってそういう女優さんでした。そのせいか、他にも要因があるのかわかりませんが、総じて原作のほうが心を揺さぶられた、という感想です。けれど、最後のあおいちゃんがギター持って歌を歌うシーンとか、やっぱり素敵でしたね。





パソコンの誤動作で、途中で全部消えて、朝の8時から、結局、7時間かけて書きました。7時間もかけて書いた先に何を望んだかというと「別の女の子の顔に目を奪われて喜んでいた彼が、あの瞬間をすっごく後悔すること」です。ここまできたら、もういい子なんてやってられません。わたしは悪い子です。あのひどい仕打ちを、わたしはずーっと根にもっていたのです。ついでに根が生えて、すくすく育ったのです。すごく悲しい思いをしたのです。傷ついたのです。とても、寂しかったのです。だってわたし隣にいたのに。


でも、これで終わりにします。もう二度と、わたしはこのことで彼を責めません。自分のことも責めません。それが7時間かけて(と書いてるうちに7時間半になろうとしています)書いた先にわたしが望んだことです。


わたし、彼と結婚しました。わたしが大好きになった人です。報告が遅くなってごめんなさい。がんばって幸せになります。



ソラニン スタンダード・エディション [DVD]

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