膝蓋骨脱臼骨折の記録10 <不信感が生まるるの記>

外来診察2(4月1日/金)


診察室に入ると担当医からまず最初に「手術をするということで進めていいですか?」と言われました。


え?とわたしは困ってしまいました。


前回の話では
「手術をしたほうがいいと思われるけれど、レントゲンを撮ってみたらしなくていいとなるかもしれない。」と言っていたのです。そして「手術をするメリットとデメリットもまた説明します。」と。


だからわたしは
「次の診察でもう少し詳しくわかるレントゲンを撮って、それで手術が本当に必要かどうかを判断してもらい、やはり手術をしたほうがいいということであれば、その場合のメリットとデメリットをきちんと聞かなくちゃ。」


と思って、この日ここに来たのです。


ですから、わたしは担当医に不信感を持ちました。この不信感は芽生えたときには小さなものだったと思うけれど、手術・入院・リハビリ、と治療生活を続けていく中で拭いきれないものになってしまい、わたしはいまだにこの日のやり取りを、情けないものに感じています。
なぜなら、わたしはそのまま手術をすることに合意してしまったからです。


わたしは「レントゲンを撮ってみたら手術をしなくていいかもしれないというお話だったので、まだ決めていません。」と言いました。すると担当医は「そうですか。他の医師とも相談させていただいたのですが、手術をしたほうがよかろうと」と、前回と同じことを言います。


それは前にも聞きました、聞いたけれど、レントゲンを撮ると言っていたじゃないか、


という疑問を発することができないでいるうちに、「手術がどうしても嫌ということはありますか?」と訊かれたので「どうしても嫌ということはありません」と答えました。すると担当医は「では手術でいいですか」と言います。わたしは腑に落ちないままに「わかりました」と合意の言葉を口にしました。


医師の言葉はどちらかといえばソフトな口調で、遠慮しているような口ぶりでもありました。ですが、言われたことは以上のことであり、わたしは生まれた不信感を飲み込んでしまったのです。


言えばよかったのです。「手術をしたほうがいいのなら、手術をするつもりでわたしはいます。でも手術をしたほうがいいかどうかは、今日レントゲンを撮ってから判断すると思っていたのです。どうしてレントゲンを撮ってから判断しないのですか。」と。言うべきだったのです。


あとから知ったことなのですが、わたしの担当医は、院内の整形外科の医師の中でおそらくもっとも若手だったのです。診察の話の中でも「他の医師とも相談させていただいたんですが」というセリフを数回口にしていて、今思えば、「手術したほうがよかろう」という診断は他の医師の判断で、担当医自身は右から左に言葉を渡していただけだったのかもしれません。だからこうして噛み合わなくなってしまうのではないか、と名探偵アライグマは今になって予想するわけですが、このときはそこまで思い至っていません。本当に手術をしていいんだろうか、という不安だけです。


こうして気持ちがまとまらないままに、半日がかりで手術に必要ないくつかの検査(血液検査、肺活量測定、MR撮影)等をし、入院時の説明などを受けて帰宅いたしました。


次に来るときは、手術ということになってしまった。はぁー。