横浜ナンバーに、名古屋の鯱を


森博嗣(もりひろし)という作家がいます。知ってる人も多いと思います。その人の小説に『すべてがFになる』という作品があります。こちらも知っている人多いと思います。森博嗣のデビュー作であり、華々しいデビューを飾るにふさわしいド派手な作品です。わたしは森博嗣をあまり好きではありませんが、この作品はわりと好きです。その作品がドラマ化されて、今、フジテレビで火曜日の夜9時から放送されています。武井咲ちゃんと綾野剛くんが、キスしそうな感じで映ってるポスターのドラマです。タイトルは『すべてがFになる』で同じ。観てる人いるかな。先日、2回目の放送が終わったところですが。


ところで先にも書きましたが、わたしは森博嗣という作家がたいそう好きなわけではありません。でも故あって作品はいくつか読んでいます。ドラマ化されたこの「F」に始まるシリーズでは今8作目を読んでいるところです。なので、わりとよく知っております。


森博嗣というのは、とてもファンの多い作家です。そしてファンは程度の差こそあれ、おそらくみんなマニアです。偏愛していると思います。ミステリー作家なので余計にそうなりやすいのかもしれません。そういう作家の代表作品群のドラマ化ですから、当然いろいろ言われます。ちなみにいまは、ドラマの犀川先生が使っているパソコンがWindowsであることに、ファンは激怒しているそうです。それくらい(もちろんファンには「それくらい」ではないけれど)いろいろ言われるのです。
ドラマ化によって、当然いろいろ言われるのだろうなと思っていたわたしは、いろいろ言うくらいなら見なきゃいいのに、と思うのだろうな、と思っていました。でもまさか、自分が何か言いたくなるとは思っていませんでした。


わたしが言いたくなったのは、Windowsのことではなく、ドラマの「舞台」です。


「F」で始まるこの小説のシリーズは、その舞台が名古屋に設定されています。作中では「那古野」という表記で書かれますが、主人公たちが通う大学を始めとして、実際に名古屋にある建物なども登場します。ちなみに「那古野」という地名も名古屋市内に実在します。


その「那古野」を舞台にした「F」シリーズ。


ドラマを見ている間も、原作は名古屋が舞台の作品であったことを、わたしはさほど意識していませんでした。でも犀川先生の乗っている車が「横浜ナンバー」なのを見た途端、強い違和感を覚えました。横浜? いやいやいや、と。


わたしは、森博嗣に特別な思い入れがあるわけではないし、森博嗣の作品も愛しているとは言い難いし、さらに言えば、わたしの出身地でもあるこの「名古屋」という土地に対しても、深い愛着があるわけではありません。
それでも、犀川先生の横浜ナンバーは嫌です。


森博嗣が自身の作品の舞台に名古屋を選んだ理由をわたしは知りません。とても重要な意味や思い入れがあったのかもしれないし、単に自分がよく知った街(森博嗣は愛知県出身、名古屋大学卒業で、その後名古屋大学助教授になっています)だからという理由だったのかもしれません。でも理由が何にせよ、森博嗣が選んだのは、名古屋なのです。この田舎の大都市なのです。
首都圏ではない、ということが、この作品に東京周辺の匂いを持ち込ませていません。それは森博嗣にとってどうかは知らないけれど、読者であるわたしにとっては重要なのです。西之園萌絵ちゃんや犀川先生が日常を送っている場所、ときに事件に遭遇し、巻き込まれ、解決を試みるそれらの出来事はすべて、ものすごくたくさんの人が憧れをもって集まるような華やかな土地で起きているのではなくて、なんだか知らないけれど人生のさまざまな成り行きでここにたどり着いた、という人がほとんどの土地で起きている、ということが、わたしにはこの作品のもつ重要な要素のひとつなのです。


それをあっさり横浜、だなんて。多くの人が憧れるイメージの場所じゃないか。この作品の事件は「ほとんど誰も憧れたりしない都会」で起きてる、ってとこがいいのに。
外車であることには目をつむれても、「横浜」のナンバープレートには目を見開くしかありません。気になってしかたがないので、ドラマの中であのナンバープレート見たら、そのたびに頭の中で、ハッチー君のシールでも貼ってやることにします。


これね、ハッチー君。



名古屋市交通局のマスコットキャラクターです。時間に正確なところが犀川先生とも相性ぴったし。のはず。