2012年大晦日


ブログを更新する頻度がかなり低くなって、どうにかしたいなぁと思いながらも、時間がない、とか、書くことがない、という理由ではなく、書きたいことがない、書く気が起きないという理由だから、どうにかできないままで大晦日を迎えました。


ブログを閉じる、という選択肢も考えなくはないのだけど、でもその選択肢は今はもう、思い浮かべては打ち消すだけのものになりました。やめたい、とは思わない。やめたくはない、と思う。ずっと読んでくれている人がいるからね。このブログがなくなっても、誰も文句は言わないと思うし、誰かをすごく悲しませるわけでもないと思うけれど、「誰も悲しませないからやめてもいい」という考えよりも「読んでくれているからやめたくない」という気持ちのほうが強く、大きい。作家に限らずプロはよく、自分が挫けそうになったときにそれでもその活動を続けてこられた理由に「ファンのおかげ」「応援してくれる人のおかげ」と言うけれど、そしてわたしはその言葉をあまり信じていなかったけれど、本当にそうなんだろうなということを今は思います。読んでくれる人がいるということは、わたしの書こうというモチベーションに結びついて、切れない。そう、切れない。書きたいことがある、というのは、書こうというモチベーションと強く結びつくけれど、こちらはいつでも切れる。


だから書きたいことがあって、読みたい人がいる、というのがいちばんいいのだけど、今は前者が乏しいために書けずにいて、何かないだろうかと考えていました。前の「uubの小屋」では自分の内面を主に書いていて、ここ「uubの冒険」では外側との関わりを主に書くようにしていて、でもわたしたぶんもう、「わたしのこと」を書きたいと思わなくなったんです。どこどこに行った、これこれを買った、誰誰に会った、何何を見た、読んだ、それについてこう思った、こう考えた、こうだった、ああだった、ってもう、いちいち話したくなくなりました。何かや誰かを大好きだという気持ちも、もう別に言いたくなくなりました。自分の満足や自分の不満を文章に書いて誰かに伝えたいと思わなくなりました。もう少し正確に言うと、悪い意味ではなく、わたしはわたしのことが、ちょっと、どうでもよくなりました。わたしはなんでこんなふうに思うんだろう、なんでこれが好きなんだろう、なんでわたしはいま悲しいんだろう、とか。そういうのがわりと、どうでもよくなりました。好きなものは好き、それでよくなりました。


でもそんなこと言ってると、書きたいと思えることがない。でも書きたいことがないなんてこと、あるわけない。なにかあるはずなにかあるはずと、考えてたんです。


一年の最後に思いついてよかった。わたし、言葉について書くことにします。


誰かが言った言葉、自分が誰かに対して言った言葉、映画のセリフ、音楽の歌詞、広告の文字、小説の一節、メール、等々なんでもいいからとにかく言葉。言葉についてなら満足も不満も、好きも嫌いも、たぶんいっぱいあって、いっぱい言いたい。


宇宙兄弟』という漫画を、ピーチ君から借りて最近読んでるんだけど、12巻だったかな、こんなようなセリフがあります。「わたしが自分の夢を叶えられたのは、昔感じた『ドキドキ』を信じたからです」。


わたしが昔感じて信じている「ドキドキ」は言葉が持つ魔法のような力。言葉には、誰も制御しきれないほどの溢れた魅力と、誰もすべては見られないほどの広さと奥行きがある。ひとつの言葉には広大な大地がある。どんなに考えても、どんなに使っても、どんなに近づいても、完璧に使いこなすことはたぶんできないとわたしは思う。でも大地を見渡してその上を歩いてみることは、めちゃくちゃ楽しい。


年末の思いつきと衝動だから、また続かなかった、ってことになるかもしれないけれど、ひとまず始めてみます。その合間に気が向いたら、今までの「冒険」も書くよ。