今、言えること


わたしは名古屋にいて、いつも通りの生活をしています。笑ったり、文句を言ったり、おいしいものを食べたり、暖房をつけてこたつに入って「寒い寒い」と言ったりしています。いつも通りの生活です。でも、感じ方は変わってしまいました。地震の前と後とで同じ気持ちでできることはひとつもなくなってしまったような気がします。



今回の地震で、生まれて初めて知ったことがあります。



わたしには福島県相馬市出身の友達がいます。東京で知り合った彼女は今、実家の相馬市で暮らしているのですが、海外へ出掛けて行くことも少なくない生活を送っています。


地震発生時、彼女がどこにいるかわたしは知りませんでした。


わたしは彼女に電話をかけ続けました。緊急時は携帯電話を使うのはあまりよくないと聞いたことがあったような気がしたけれど、でもかけ続けました。メールもしました。でも連絡をとろうとしている間、冷静な部分のわたしは、「なんでこんな必死なフリをしているんだろう」と思っていました。心配だったのは確かだけれど、ここまで必死になるほど実際には心配してないんだろうな、と思っていました。わたしは自分が真剣に人の心配をできる人間ではないことを知っています。こういう場合、わたしはわたしの気持ちをほとんど信頼していません。


でも彼女に電話がつながったとき、わたしは自分がどれほど不安だったかを知りました。彼女の声が電話の向うから聞えてきたとき、わたしにとってその声がどれほど尊いかということを知りました。電話をかけ続けていた自分は、本当は怖くて怖くてたまらなかったのだということを知りました。本当に怖かったんです。思い出すだけでも。


わたしは大切な人を失ったときのことを考えました。大切な人を失ったとき、わたしはどうしなければいけないかを考えました。大切な人を失って、あまりの悲しみで死んでしまいたくなるわたしを、生につなぎとめてくれるものがあるとしたら、それはいったいなんだろうと考えました。悲しみの底で暮すのではなく、前向きな歩みへと方向づけてくれるものがあるとしたら、それはいったいなんだろうと考えました。思いついたのはひとつだけでした。その人との記憶です。わたしは、わたしが死んだらその人との間にある記憶も一緒になくなってしまうと思えたら、死んだりできないような気がします。だめだ、生きよう。と思えるような気がします。「死んだ人間は、生きた人間の心の中で生き続ける」とはよく聞く言葉ですが、あれは死者への祈りではなく生者への呪文なのだと、今は思えます。


だからわたし思ったんです。わたしが死んで、もしわたしの大切な人が同じことを思ってくれたときに、わたしとの記憶を捨てないことを選んでくれたときに、その人が抱えてくれる記憶が、その人に笑顔をもたらすものであるように、その人に勇気を与えるものであるように、少しでも美しく気高いものであるように、わたしは生きていかなくちゃいけないんだと。その人が少しでも大切にしたくなる記憶であるように、生きてることを誇りに思ってくれるような記憶であるように、生きていかなくちゃいけないんだと。それは先に死んでしまう者の、後に残す者に対する義務なのだと。先に死んでしまう人間は、後に残す人の気持ちを暗い穴に向かわせないようにする義務があるのだと。そう思いました。


わたしが死んでも何も変わらないけれど、わたしが死んだあとでもわたしの生き方はたぶん誰かの生とつながっているから、だから簡単に死んだりしちゃいけない。元気いっぱいに生きなきゃいけない。生まれて初めてそう思いました。



元気いっぱいに生きて、現状をきちんと見て、できることをやっていきたいと思います。今はそれしか言えることがない。